日本最北端の宗谷岬からオホーツク海沿岸を南下していくと、猿払村をすぎるあたりから珠文岳(761m)が見えてくる。珠文岳は浜頓別町のどこからでも見える山だ。日常の中で、山の姿をあたりまえに見ながら気にして見ることは少ない。小・中・高校生と、低く垂れ込んだ曇りや雨の日でない限り、毎日珠文岳を見て登下校をしていた。
浜頓別町で写真を撮るようになってから珠文岳も撮っていた。移動途中や散歩の時に、目に留まった珠文岳を撮っていたらそれなりの枚数になっていた。まとめて見返していくと珠文岳や珠文岳と一緒に写っている風景写真から、帰省のたびに浜頓別町内を歩き、写真を撮っていた自分が存在していたことを改めて思う。写真にはそのときの自分の視点が記録さる。見続けた記録は、私以外の人が見たらどう作用するのだろうか、そもそもしないのか。
写真は時系列に沿って並べた。山は見る限り変わらないが、観察者の私の状況は変わった。2020年の2月まで月に1度浜頓別町に通っていたが、2020年3月から2022年12月まで頻繁に行けなくなり、2023年6月〜9月は浜頓別町に滞在し、2024年の5月末が浜頓別町へ通うことの一区切りとなった。



















珠文岳は浜頓別の町中から見ると、同じくらいの高さで似たシルエットが並んで見える。向かって右側のピークが珠文岳になるが、向かって左側のピークにも名前があってもいいのではと思っていた。2015年の晩秋の頃から、浜頓別町にあるベニヤ原生花園が、オントキタイというアイヌ語地名で呼ばれていたことについて調べていたときに、資料のアイヌ語地名考※から、珠文岳の2つのピークにそれぞれ名前があることを知った。向かって左側がオロピリカシュプンモトツ、向かって右側はオロウェンシュプンモトツだった。似たシルエットの山にピリカとウェンの対照的な意味が含まれているのが印象的だった。2つのピークに名前があることを知って腑に落ちた。
この山には登山道はない。ネットで調べると厳冬期にスキーで登っている人が見られるが、そこまでの登山レベルではないので、登って肌で山を体感することはできないし、山体を見ることしかできない。それならばと望遠レンズでも撮った。
2つのピークの名前を知って、撮り方や写り方が変わったかと問われれば、そんなに変わったとは思わない。ただ、2つのピークを合わせて珠文岳と思って見るのと、2つのピークに名前があるのを知って、珠文岳を見るのは、なんとなく見るか、地に足をつけて見るくらいの違いを感じている。
「寄木塚2号」の原稿に添える珠文岳の写真をどれにするか選ぶときに、珠文岳が写っている写真は結構あって、それを一冊にまとめた。時系列に並べ、最後から3枚の写真は浜頓別の実家を引き上げた日に撮影したものになる。部屋の窓から珠文岳を撮った写真は、浜頓別で過ごしていた日々があったことを一番感じられる写真となった。
浜頓別で写真を撮るようになったのは2009年からで、この頃、高校まで過ごした浜頓別の風景が断片的に頭の中に現れるようになった。なぜ浜頓別の風景が気になるのか。それは故郷の風景を通して、浜頓別にいた頃の自分と向き合おうとしているのではないかと考えていた。
はじめは何気なく、そのうち町のどこからも見える珠文岳を故郷の山と認識し、アイヌ語由来の地名と出会って、珠文岳をオロピリカシュプンモトツ、オロウェンシュプンモトツという二つの山体として眺めるようになった。珠文岳は変わらないが、わたしの珠文岳の見方は変化していった。
実家じまいとともに、浜頓別での撮影は(一旦)終わりとなった。
これまで撮ってきた浜頓別の写真はまだ沢山あるから、何かの形にできればと思う。
2023年10月発行リトルプレス「寄木塚 2号」に珠文岳(オロウェンシュプンモトツ)寄稿。
※佐藤豊・浜頓別町企画調整課(監修)、アイヌ語解説 浜頓別町、浜頓別町文化財愛護少年団.1997