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写真展を見に行く


写真を浴びるように見たい。ということで、京都市で開催された #kyotographie #京都国際写真際 を見に行った。そして結果的にまさに浴びるように見てきた。メインプログラムの写真展はどれも印象が残るものだった。圧倒的な存在と美、自分から遠くないことの表現、知らない世界を考えるきっかけ、写真を前にあれこれと考える。貴重な時間だった。「写真とは」を超える表現が写真祭にあるのも魅力だった。展示についても、額装されて壁に展示されて、ライティングがされているが正解ではもはやない。今回のみならず、以前からもそうだったと記憶しているが、今回は特にそれが気になった。展示会場でライティングがなく、畳の上にプリントが入ったフレームが、人の動線を確保して並べられている。暗くなったらどうするのか気になって、会場の人に聞いたら、そこの会場はそもそも暗くなる前に閉廊、作家も自然光で見せることにこだわったとのこと。場の雰囲気、「間」の雰囲気を大事にしたのだと思う。いや、それ込みで表現だったのかもしれない。そこで写真を見るということ、本当に見せることに対してとても丁寧だ。思い返してみれば、会場の特性もあるかと思うが、壁に展示されているものはそんなになかったような印象だ。壁に傷はつけられない、ならば天井を傷つけない方法で吊るす、床におく、見せるためのボックスを作る、壁が必要であれば作品に合わせて壁を設置する、だからその壁も自由で写真を利用した壁紙だったり、色もその作品に合わせたり。とにかく見せ方が丁寧と思った。そして自然光を利用した展示。写真を展示で見せていくときは、「こうでなければならない」にとらわれることなく、常に考えて行いたい。正解はない。常に考えないと。


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