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2020年



この写真を撮ったのはめずらしく斜内に流氷が来た2月。この後から札幌ー浜頓別町の行き来は石橋を叩くようになった。なんの疑問もなく通って見て撮った景色は、思いを飛ばす場所となった。

ずっと前に樺太関係の展示を見に行ったことがある。

風景写真やスナップ写真だけではなくて、文学冊子、新聞、観光絵はがき等、樺太にあったものがそのまま全て持ち込まれたような展示だった。最後に来場者がメッセージを書いて掲示板に貼れるコーナーを見た時、そのメッセージの1つに、展示会の感謝の言葉と、本当に樺太に戻れたような気持ちになったと書かれていたのが心に刺さって、今も時々思い出す。

今はサハリンだけれど、人間も住んでいて消えたわけではないのに、そこに帰れない人がいる。

2011年3月11日の地震のあと、住み慣れた場所、自分の場所を離れなければ行けない人たちが大勢発生した。そこも消えたわけではないのに、まるで現在の樺太かと思った。

2020年は世界中が帰るに帰れない、そんな年だったのだろうか。


それでも写真は撮った。故郷の風景を撮れなくても、写真を撮ることが好きだし、むしろ撮った。今年はいつもと行動が違う。行動に沿って写真をとれば自分をちょっとはトレースてきるのではという思いもあって。

自分(の視線)の記録、世界の記録。撮る目的、見せる相手がピンポイントだったり。

写真の役割の広さを感じずにはいられない。かといって真っ向から向かうと終わらない議論の中に落ちる。

そこを行ったりきたり。


今年は思いがけず天文ショーに恵まれた。ネオワイズ彗星に、木星と土星の大接近。どちらも良いコンディションで楽しんだ。

中学生のころから天文に興味を持って、当時の天体写真家のハレー彗星の写真を見て、自分もいつか撮りたいと憧れた写真はネオワイズ彗星を撮ることでかなえられた。木星と土星の大接近ではもう数十年ぶりに外で望遠鏡を組み立てて見た時、高校の時に望遠鏡を買った頃と感触がまるで変わっていないことに、カメラはデジタル化して随分と変わったのに、望遠鏡と赤道儀には永遠を感じてしまった。なんというか、変わらない原理にというか。


今年は決して封印された年ではなかったと思うし、考えるきっかけの年でもあった。そうポジティブに考えて行きたいし、そうするには未来をどう過ごしていくかなのだと思う。過去と未来は作用する。と思う。

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