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珠文岳(オロウェンシュプンモトツ)


October 7, 2017  頓別から見る

浜頓別のどこからでも見える珠文岳(しゅぶんだけ)。浜頓別で生まれ育った人はこの山を見て育つ。

ところで、いつか母に珠文岳って(向かって)右側、左側?と聞かれてすぐに返事ができなかった。

誰かに明確に教えてもらった訳でもなく、ただ、気がつけばなんとなく向かって右側だと思っていた。

改めて地図で確認すると、向かって右側が珠文岳になる。

しかし、向かって左側も中々の存在で、名前がないのが幾分納得いかなかった。

アイヌ語の地名は、場所に特徴があるところにだいたい名前がある。「アイヌ語解説 浜頓別町、1997」を見ると、やはりアイヌ語地名、「オロピリカシュプンモトツ、オロウェンシュプンモトツ、カムイユンタラ」とあった。アイヌ語の解説と標高の記載と地図の写しが掲載されているが、地図が不鮮明で実際に見ている山々に対して判断するのが難しかった。

そこで、地図の手書きの写しに「陸5仮(頓別)1898」とあったので、国土地理院からこの地図を発行してもらった。A2サイズに出力された地図は流石に見やすくて感動してしまった。

1898年、明治31年の地図にはアイヌ語の地名がカタカナで記載されている。現:珠文岳にもアイヌ語地名が標高と共に記載されていた。

ここで、確認作業が止まる。「アイヌ語解説 浜頓別町、1997」に記載されているアイヌ語地名と標高、明治31年の地図に記載されている地名と標高が合わない。どう合わないかというと、例えばオロピリカシュプンモトツの標高が「アイヌ語解説 浜頓別町、1997」には587mと書いてあるのに対して、明治31年の地図には784mと書いてある。現在の地図と明治31年の地図の珠文岳の位置の記載を基準にすると、明治31年の地図が正しいように思えたが、自信が持てなかった。

ところが先日、「アイヌ語地名研究会」が発行している「アイヌ語地名研究19、2016」の中で、珠文岳周辺のアイヌ語地名について書かれているの見つけた。これを参照すると明治31年の地図の通りでいいようである。上の写真の通りで間違いないだろう。

スッキリした。

ちなみに上の写真のカムイニンタラは明治31年の地図の記載の通り。「アイヌ語地名研究19、2016」では「カムイ・ニンタラ、神(クマ)・の集まる広場」と解説している。

さらにちなみに上の写真、手前の水の場所(川)にもアイヌ語地名があるがまた次回。オロピリカシュプンモトツ、オロウェンシュプンモトツの解説もまた別の機会に。

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